2010年7月24日土曜日

天頂バス

バスを待っていた
一人いつまでも

答えなんてどこにもないし他人なんかにすがっても少しもいい気がしない

独りよがりの孤独な旅

時計は静かに進む

誰かが遠くでサインを送った
もういいのかい?

知らないよ

誰かがまた遠くでサインを送った
またくるよ

もういいよ

サインの数は次第に減っていく


周りに何もかもが消えたとき

何かがはじけた
急に

あっと気づいたこと
納得のいくことは待っていてはいつまでも叶わない

足を一歩だけバス停から遠ざけてみた
少しだけため息が漏れたけれど
始まったことがある
もうこれからは自分を信じなくてはダメ

遠くで何かが始まってる
既に

僕の一歩はかすかだけれどこれはきっと大きなものだ

2010年7月20日火曜日

サイン

生きてる
踏ん張りながら生きている
つながりを求める今なら何かできそうな気がするんだ
ふと思う時がある、自分の統合失調症にこれでいいのか
何故自分なのか
乗り越えなくてはいけないのは誰だって一緒なのに
不幸なんて言葉はどこにもなかった
伝えられない思いはすでに心の中にある
ラストスパート
これから何がなんでも走り抜く


-- 自分のiPhoneから発送する

2010年7月17日土曜日

マンション

誰もが一度はしあわせになりたいと願うだろう。
結婚や家庭、伴侶を持つことも願う

結論から言えば幸せとは何かが起こっている現在であり
不幸という何もかもを奪われた実生活というものは多分存在していないのである
そう考えるのなら
生きていく自体が幸福で
大きな幸福を狙うよりも小さな過程で噛み締める方がよっぽど理にかなっているのである
幸せを探す暇があるのなら
今ある生活を少しだけ楽しく変えてみるのがいい
気づいていない幸せというものはほっておいてしまうと発酵して別なものに変わる
幸せになるのではなく幸せを見出す
ほんの少し異なる言葉でも実態は大いに違うはずだ。

2010年7月10日土曜日

7月だより

人のせいにしてはいけなかった、時代のせいにもそう
自分の精神は知らず知らずのうち侵されていた
人はひとりでは生きて行けない
ただ時に本当に一人になってみたい時がある

これはきっと誰かを求めているシグナルだ

小洒落た本屋でタイトルを何となく見るのが好き
中身は読まずとも装飾の雰囲気を鼻で楽しむ
文学とは何かと考えた
それは読者の両腕をぎゅっと引っ張り揉みくちゃにするくらいの刺激がないと

あくまで私見


締切りのないところで一度悠々と描きたいものがある
誰のためでもない純粋に今の自分を象ってみる

右手にはめた腕時計はほとんどアクセサリーだ
待ち合わせをする以外時間とは自分が過ごした量の目安であった
ただそれだけじゃないこともなんとなく分かるけれど

珈琲と煙草
朝、暖まるのが遅いエンジンを急激に変えてくれる
ただ最近珈琲がぬるく感じ
まるでミルクチョコレートを飲んでる錯覚で
タバコは自分の病んだ精神が天に登っているかのようだ

ポリシーとしてはお酒はなるべく飲まず
献上するものだと思う

無精髭もたまにはいいと思う
結構おしゃれになってるから

ともあれ夜明けと深夜
この二つの時間に仕事が出来れば贅沢この上ないのだが

それから

気がついたら生きていた
意識に気づいたら自分はこの世に生まれていた
そんな漠然としたイメージをいだいてここまで生きてきた

時間はもう戻らないし
肉体も徐々に老化する
ただ今あるのはもっと世界は広いのではという錯覚

昆虫図鑑を見ても植物の図鑑を見ても
もっといろいろな種類があるはずだ
宙を見て思う。

新しいことを今まで学んできたことで人生を消化できてきたと思わない
希望という名の燦然たる冠が
明日は多分晴れるかなという前向きな部分が自分を揺さぶってきた

今僕は妄想の世界に迷い込んでいる
この世の中を限界まで想像していいのだろうか
やはり虚しいし叶わないと落胆してしまう
しかし新しい妄想で自分を進化させなくてはいけない
そして全ては着実に進んでいる

自分のイメージは美しく有りたいということ
今この世の中に問いかけられている
やるの?やらないの?
自分の足ですすめるのなら
質問はいつもシンプルだ。

2010年7月5日月曜日

設計

遠くの空を眺めても見えないものは見えない
かえって近くのものに例を当てはめると答えが出る時がある
まさに子供の思考というのはそういう部分が多かったからこそ新鮮だった訳だ
童話や寓話を見ても微塵も感じなくなった部分がある
それは生きている間に体験することはないだろうという漠然とした意識
悪化してしまうと荒唐無稽すぎるという結論に達する
そもそも関連付けのできないものなど存在するはずもなく
そして実現不可能なものは想像すらもできない
それを考えるなら大人の未来のニーズを満たすには子供のような世界がまた必須となるのだ
紙に書いてそれが実現不可能なのは過程が抜け落ちているだけであって
努力がまだまだ足りないだけなのかも知れない

2010年7月2日金曜日

gift

誰もが当たり前のように享受している
だから本当はどんなものかはわからない正直
だけどいろいろな力を借りてる実感こそ生きている証

命よりももっと重要なものがあるとする
それは多分魂の座
何か別のものに生まれ
生まれ変わりそしてまた生まれ変わっても人間、
生き物は失った自分の座を保持しなければいけない

明日死んでしまったらひっくり返ることはないにしろ
同じ場所に生まれる保証はない
だから命も大事なのだ
大切に命をすり減らさなければ望まない場所へと飛ばされても何も言えない
これは自分が輪廻を信じてるから言えるのであって
命は一方通行だと考える人には通用しないのかも知れない

街を歩けば、あっあの人誰かに似てるなと思うことが多々ある
これは決して他人の空似ではないはずだ
現実という掛け替えのないボードの上でこれから何度出会いと別れを繰り返すのだろうか
多分先祖から与えられた命、魂
与えられたものそしてこれから与えていくもの
その両方は確実に存在している